2016年10月11日火曜日

ヒノキが売れると消えるモノ

サングラスの賢人がブラブラする某局の番組で「厳島」を特集していた。そこで気になったのが厳島神社の屋根「檜皮葺(ひわだぶき)」だ。重厚かつ優美な曲線が特徴の屋根葺き手法で、檜の樹皮を用いた日本古来の独自工法だ。厳島神社のほか、出雲大社本殿、北野天満宮、清水寺、富士山本宮浅間大社本殿、善光寺本堂など、多くの文化財に見られる。しかし、近年は供給量不足で葺き替えが大変だという。世田谷ベースの歌人の番組によるとヒノキは海外で人気なのだそうだ。

檜皮葺屋根の耐用年数は形や立地環境で多少の差はあるものの概ね3040年なのだそうだ。国宝に指定されている約200余棟の建物の約三分の一が檜皮葺の屋根で、重要文化財や宮内庁所属の建物を含めればその数は十数倍となる。それらすべての檜皮葺屋根を支障なく葺き替えるには3,000haの高樹齢のヒノキ林が必要だと試算されている。

国も対応策は講じてきた。林野庁は平成132001)年に、歴史的木造建物の修復に必要な檜皮や木材などの資材の供給や原皮師の養成等のための場の提供などを目的として「世界文化遺産貢献の森林」を近畿・中国地方などの国有林に設定した。さらに文化庁も同年、文化財建造物の修理に必要な資材や研修の場となる森林を確保するために「ふるさと文化財の森構想」を立ち上げ、調査研究や施設の建設を進めていた。

平成26年度 森林・林業白書」によると、ヒノキの生産量は平成202008)年の1,886m3を底に増加傾向にあり、平成252013)年には2,300m3となった。しかし、ヒノキの素材価格は昭和551980)年の76,400/m3をピークに下落してきた。昭和621987)年から一時的に上昇したものの、平成31991)年から再び下落し、近年は20,000/m3前後で推移している。
スギ・ヒノキの素材生産量・素材価格の推移(出典:平成26年度 森林・林業白書)
注1:素材価格は中丸太(径1422cm、長さ3.654.00m)の価格。


そうした状況に変化がでてきたのは、ヒノキの海外需要が近年になって高まってきたことだ。「林産物の輸出強化に向けた対応方向」(内閣府)によると、ヒノキの輸出量は平成232011)年の3m313億円)から平成272015)年の12m337億円)へ急増している。檜皮用の表皮を採取できるヒノキは最低でも樹齢半世紀以上のもの。ところが丸太としてヒノキを伐採する場合は樹齢50年もあれば十二分。海外需要が上向きのいま、森林所有者がヒノキを伐採して輸出に回す可能性は高い。そうなれば、檜皮採取に充分な樹径のある木は減り、檜皮採取の機会は一層少なくなる。

さらに深刻なのは、たとええ檜皮に適したヒノキがあったとしても、檜皮を採取する原皮師(もとかわし)と呼ばれる職人が少なくなっていることだ。檜皮向けのヒノキの表皮を採取するのは原木が痛まないよう樹木の活動が緩やかな秋から冬にかけて行われる。原皮師はヒノキの立木の根元から上部へ向けて木ベラで表皮を剥がしていく。こうした原皮師の仕事が寒い時期に高所で行う危険な作業だということもあり、後継者探しは難航し、その数は著しく減少している。

見渡せば檜皮葺から銅板葺や鉄板葺に葺き替えられた建物も少なくない。千年以上も受け継がれてきた、厳かしさと美しさを兼ね備えた檜皮葺の屋根が見られなくなるのは寂しい。状況が少しでも好転することを期待したい。






2016年9月15日木曜日

伝統工芸の新たな担い手

茨城県が国の地方創生推進交付金を活用し、県内産地と連携して伝統工芸品の戦略的な市場開拓や新商品開発等を展開する「いばらき伝統的工芸品産業イノベーション推進事業」を始める。事業主体には、地域資源活用の新たな担い手として注目される「地域商社」だ。

県と連携するのは桜川市笠間市結城市3市で、それぞれの地場産業となる真壁石灯籠、笠間焼、結城紬が振興の対象となる。事業主体は平成8年に設立され、各産地組合などで組織する県伝統的工芸品産地交流促進協議会を母体に、地域商社機能を有するプラットフォームを構築する。平成18年度以降に事業を本格始動させ、同29年度までに産地振興ビジョンの策定、地域商社の設立、試行事業の実施等を行い、同3032年度には販路開拓や新商品の開発、人材の育成等を行う計画。

真壁石燈籠は桜川市真壁産の良質な花崗岩を使い、江戸時代末期から伝わる技法によって同地方で作られる。堅牢だが繊細優雅な彫刻に優れ、平成7年に国の伝統的工芸品に指定された。
浅間焼は江戸時代中期に始まった笠間市周辺を産地とする陶器で、伝統を受け継ぎながらも作家の個性をより重んじた作風が特徴。平成4年に国の伝統的工芸品に指定された。
結城紬は奈良時代に常陸国(茨城県)の特産物として朝廷に上納された布(あしぎぬ)が原形とされ、室町時代に下総結城家から幕府・関東管領へ献上されたことから「結城紬」と名を変えた。その特徴は糸に撚りがない嵩高繊維で、絹でありながら木綿織風の素朴さがうかがえる。昭和31年に国の重要無形文化財、同52年に国の伝統的工芸品に指定された。

しかし、現状は厳しい。経済産業省製造産業局伝統的工芸品産業室の「伝統的工芸品産業をめぐる現状と今後の振興施策について」(平成232月)によると、伝統的工芸品産業の現状は生活様式の変化や安価の輸入品の増大などにより需要が低迷し、生産額、企業数、従業員者数ともに減少を続けている。一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会によると、現在の伝統産業の情勢は平成24年度の生産額が約1040億円で同企業数が13567企業、同従業員数が69635人。ピークだった昭和50年代と比べるといずれも大きく減少し、昭和59年と比べると生産額は20%、企業数の約46%、従業者数は30%にまで落ち込んでいる。

「地域商社」で職人の仕事が再評価され、復活することを期待したい。




経済産業省製造産業局伝統的工芸品産業室「伝統的工芸品産業をめぐる現状と今後の振興施策について」(平成232月)


※ 茨城県商工労働観光部産業技術課の資料

2016年9月8日木曜日

「japan」危機一髪

日本電気株式会社817日に、国立大学法人京都工芸繊維大学京蒔絵師で下出蒔絵司所三代目の下出祐太郎氏と共同で、食用に適さない草や木などのセルロース(不溶性食物繊維の一つ)を使った樹脂を材料に、漆塗りの深く艶のある美しい漆黒を実現したバイオプラスチックの開発を発表した。バイオプラスチックは石油を主原料とする従来のプラスチックと比べて環境にやさしい反面、製造コストが割高なことが課題だった。発表された製品は、機能性に加えて漆器のような質感とデザイン性で素材としての付加価値を高める狙いだ。

漆に代わる新素材が登場する一方で、本物の漆は相変わらず厳しい状況が続いている。漆の主な国内生産地は岩手県、茨城県、栃木県などで、生産量は漆器の需要減に伴い減少気味だ。漆を採取する職人の高齢化は著しく、後継者育成も難航している。林野庁によると、平成26年は対前年比4%減の1,003Kgほどだった。国内消費の98%には輸入品が使われ、その大部分を安価な中国産が占めている。文化財の修復でも明治以降は中国産の漆を多用したのが現状だ。

そんな中、国内の漆生産者に追い風が吹き始めた。文化庁2015224日に、2015年度からは国宝や重要文化財の建造物を修理する際、原則として国産の漆を使用するよう各都道府県教育委員会に通知した。漆の生産減少に歯止めをかけるのが狙いで、文化財は本来の資材・工法で修理することが文化継承では重要だと判断したようだ。当面は上塗りと中塗りを国産漆とし、平成30年度をめどに下地を含めて100%国産化を目指す予定だ。今後は林野庁と協力して漆の増産を図るほか、生産者の育成も進める方針だという。

この発表の席で下村博文文部科学相は「漆は英語で『japan』と記すほど、日本の文化を象徴する資材だ」と意義を強調していた。国産漆を使った日本伝統の漆器「japan」が復活することを期待したい。

ちなみに、漆の木は苗木から約10年で成木になり、1本から約250g程度が採取される。日本では漆を採取する際、幹に傷をつけ、染み出る樹液をヘラで掻き集める「漆搔き」と呼ばれる方式が主流だ。「漆搔き」は6月中旬から10月初旬まで行われ、漆を取り尽くした木は根本部分を残して伐採する。すると切り株からは新芽が出て10年後には再び漆が採れるようになる。漆の循環サイクル、凄いね。

2016年9月5日月曜日

熱くないアスファルト

今年の夏も酷暑だ。東京都心の道路を歩くと、熱したフライパンの上かと錯覚する。そんな暑いさなかの20208月に東京五輪・パラリンピックが開催される。「オリンピックもビジネス」という大人の事情から最も広告収入が見込めて放映権が高く売れそうな8月開催となったようだ。それで大丈夫なのかと思っていたら、831日に国土交通省が路面の暑さ対策を検討するための実証実験を実施した。

実験場となったのは国道246号線で、東京都渋谷区の約250メートルの区間。対象となったのは「遮熱性舗装」と「保水性舗装」の二種類。「遮熱性舗装」は、舗装された路面に赤外線を反射する遮熱材を塗布したり遮熱モルタルを充填し、太陽熱を反射させて道路に熱がこもらないようにする方法。「保水性舗装」は、アスファルト材の隙間に保水剤を詰め込み、降雨などで染みこんだ水の気化熱で路面温度の上昇を抑える方法。いずれの方法でも路面が乾いた状態と濡れた状態を確かめた。

検証には元陸上競技・マラソン選手の瀬古利彦氏や車いす陸上競技選手の花岡伸和氏らも参加し、結果では「遮熱性舗装」に対する評価が高かったという。国土交通省は今回の検証結果をもとに、マラソンコースや会場周辺などの路面の温度対策について検討を進めていくそうだ。

都では都心部のヒートアイランド現象抑止策として、2001年から「保水性舗装」、2008年から「遮熱性舗装」を一部の都道に導入し、2006年度からは渋谷区でも路面舗装改良事業として「遮熱性舗装」を試していた。そうした事業を一歩進めるかたちとなった。

アスファルトの恩恵を享受してきた身としては、あまりエラそうなことは言えないが、ここは何とか道路関係者の皆さんの英知をお借りして涼しくしてもらいたいものです。微力ながら私も狭いベランダで打ち水に励むことにします。

2016年8月31日水曜日

染めない染屋

 薄い絹の一枚布に表裏で別の色、別の柄を染め付けたチーフがある。株式会社富田染工芸(東京都新宿区)が東京染小紋の伝承技術でつくっている「小紋チーフ」だ。印刷では紙やインクを選ばなければ絵柄が裏面に滲み出る裏抜けが発生する。紙より圧倒的に目の粗い布への染めとなると、素人でも裏抜けさせない技術の難しさを想像できる。
小紋は細かい柄の模様を型染めした着物の生地。室町時代に武具へ家紋を記す技術として発祥し、江戸初期に武士の裃を染めることで発達、同中期には庶民の生活にも浸透し始め広く普及した。
 主な技法としては、単色染めで極めて細かい柄の「江戸小紋」、複雑な模様を多色染する京友禅と型染めを融合させた「京小紋」、京友禅の影響を受けた手描き染めと江戸小紋の影響を受けた型染めの二種類の技法を用いる「加賀小紋」などが知られる。このうち「江戸小紋」の細密な模様は、江戸時代に幕府や諸藩より質素倹約が求められ、遠目には無地に見えるようにする工夫だった。その結果、小紋の染色技術は非常に高度なものに発達した。東京染小紋はそうした江戸小紋の技術を用いて、東京で染められたものを指す。
 小紋の染めには長さ1530cm、幅40cmほどの間に模様を型彫りした型紙が用いられる。型紙は上質な和紙二、三枚を柿渋で貼り合わせたもので、主に三重県の伊勢で生産される(伊勢型紙)。東京染小紋の型紙は東京で型彫りしたものになる。富田染工芸には創業より使用してきた型紙が12万枚以上あり、現在でも染めに使用しているという。
 この型紙を使って染めるところが小紋の特徴なのだが、型抜きされた部分には防染糊が塗られ、 “染める”のではなく“染めない”ところになる。この“染めない技術”を用いたのが「小紋チーフ」だ。そこには江戸時代に確立された極小模様を白抜きする、染めない技術が存分に活かされている。
 それに引き換え、プリンタの両面印刷でも失敗してしまうわが身の不器用さ・・・。

2016年8月25日木曜日

完全木製の卓球台

リオ五輪で男子団体が銀メダルを獲得した卓球。水谷隼選手と許昕選手の超絶ラリーは記憶に新しいところ。そのステージとなった卓球台に、いま新たな注目が集まっている。

スポーツの国際大会で使われる道具には厳密な規定がある。卓球台の場合は大きさや高さ以外に天板がフラットで全体が制振性に優れていることも求められる。さらに国によって異なる気温や湿度、輸送時の環境変化でも変わらない高い耐性も必須となる。そのため、国際大会で使われる卓球台を木だけで作ることは難しく、これまでは金属やアクリルなどの素材を組み合わせることが多かった。ところがリオ五輪で使われた卓球台は完全木製の「Made in Japan」だ。

卓球台のオフィシャルサプライヤーは卓球台・遊具などを製造する株式会社三英(千葉県流山市)。提供した卓球台は無限を意味する「インフィニティ(infihity)」という製品で、フランス語で「青い瞳」を意味する「レジュブルー(Les yeux bleus)」の天板を三英、オーヴァル曲線の重厚な脚部を家具製造の株式会社天童木工(山形県天童市)、デザインをソニーでウォークマンやヘッドフォンなどのデザインを手がけたプロダクトデザイナーの澄川伸一氏がそれぞれ担当し、革新的な卓球台ができあがった。ちなみに東日本大震災からの復興を願い、脚部には岩手県宮古市産のブナを使用している。

この美しい卓球台、温泉卓球場には置かれないよなぁ・・・。

2016年8月18日木曜日

露地の結界

茶室の庭、茶庭のことを露地という。

その露地で立入禁止区域を示すために使われる目印が「関守石(せきもりいし)」だ。
関守石は色染めした麻縄などで小石を十字に結んだもの。
日本庭園や神社仏閣の境内などでも聖域と俗域を仕切るために用いられる。

先日、この関守石を「ものづくり・匠の技の祭典2016」で見かけた。
自分は初見だったが、茶道をかじっているカミさんが教えてくれた。

その辺の小石を紐で結ぶだけで神通力が生まれる、なんとも不思議な結界の張り方だ。
しかも石のカタチや紐の色がいろいろあり、なかなかカワイイ。
露地は戦国・安土桃山時代の茶人千利休((152291年)が使い始めた言葉だ。
関守石も同時代に生まれ、一説では千利休が思いついたものだともいう。
こうした古い技法を守り、今に伝えているところが凄い。

塀に書かれた鳥居にも結界の力か・・・。

(佳木)

2016年8月16日火曜日

病み上がりの美酒嘉肴

やっぱり「醸し人九平次」は旨かった。

退院後、久しぶりの飲み会へ。
接待を兼ねて、いつもより高級な日本料理屋となった。
まだまともに酒が飲めない身、それでも乾杯程度は付き合いたい。
ありがたいことに、酒の選択は私に。
どうせ飲むなら旨い酒。

選んだのは萬乗醸造(愛知県名古屋市)の「醸し人九平次 純米大吟醸 山田錦」。
冷やで運ばれてきた酒を盃に注げば、果実のような上品な香りに期待が膨らむ。
口に含むと、程よい酸味とキレのある甘みが心地よく調和し、スルスルと喉を流れる。
料理が一層旨くなり、思わず顔がにやける。

萬乗醸造は元役者の蔵元と蔵元の同級生でシステムエンジニアだった杜氏が
若い蔵人たちを率いる異色の酒蔵。
しかし、その酒はフランス・パリの三ツ星レストランもワインリストに掲載する逸品だ。
ワインがブドウやブドウ農園で説明できるように、
日本酒も米や田んぼで説明できるような環境づくりに努めている。

そんな旨い酒だが〝ふぐは食いたし命は惜しし〟で今回は乾杯プラスアルファで我慢。
自分が飲めない酒の選択は人任せに、接待は忘れて料理に集中した。

(佳木)